さよならサブカルチャー

もう十年以上前、私がまだ女子高生の端くれだった頃のギャルたちはみんなベージュか薄ピンクの明らかにサイズがデカすぎるカーディガンを着て他校のスクールバックを持ちリプトンの紙パックにストローを刺して飲みシーブリーズの蓋を彼氏と交換して大学生になったらテニスサークルに入って肩にアンサンブルニットのカーディガンをかけたエビちゃん押切もえちゃんみたいなきれいなお姉さんになれると信じていたような気がする。
そんなJKという単語が生まれ始めた時代にギャルではなくサブカルクソ女だった私は周りの子が修二と彰どっち派かで論争している横でやっぱり鳥肌実はイケメンだなあと思いながらクソデカのヘッドフォンをつけて毛皮のマリーズを聴いていた。
本当はGO!GO!7188のこいのうたのMVに出てくる女の子のようなきのこみたいなマッシュルームカットにして奥華子リスペクトの赤い眼鏡をかけたかったけれど私がやったらふかわりょう大木凡人になる懸念が強すぎてどちらもできなくて、
それでもクソデカヘッドフォンと古着屋で一目惚れして買ったミリタリージャケットと清水の舞台でバク転するような気持ちで買ったシアタープロダクツの白いワンピースとわざわざやすりがけしたマーチンの10ホールは己の制服だったし、
ライブハウス近くのカフェで刺青だらけのロン毛のお兄さんが出してくれる大して美味しくもない何度も温め直してるであろう珈琲をほんとに大して美味しくないなあと思いながら飲むのはきっと生活への祈りだったと思う。


嶽本野ばらハリーポッターしか読まないライブ仲間のロリータ少女に江戸川乱歩の芋虫を読ませる下卑た遊びに興じたり、ナンパしてきた無名のビジュアル系バンドマンに頼まれてライブのサクラをしたり、時給780円で怪しい雑貨屋のバイトをしたり、あの頃はとにかく退屈を殺そうと必死だったような気がする。


サブカルクソ女だった私はまだ幼かった1999年頃の冷たくて乾燥してて灰色の空気のことがずっと好きで、2000年以降のオレンジ色とピンクの混ざったレゲエパンチみたいな空気が吸いづらくて、倖田來未ケツメイシオレンジレンジ大塚愛セシルマクビーの紙袋も付け睫も梅つば夫婦も全然好きになれなかったし、正直リプトンより紅茶花伝の方が好きだったし、学校へ行こうの話より海に浸かって見る月の話やsyrup16gの話がしたかった。


そうやって自分だけバベルの塔の住人のような気持ちで過ごした思春期は、青くて痛くて可哀想だけど今思えばひとりでたのしく青春してた気もするから不思議だ。


あれから随分経った今の私は本業の原稿に追われつつも週末しか開かないカフェの店番をしたり趣味と実益を兼ねて夜な夜なガールズバーの愉快なおねえさんをしていたりして、我ながらめちゃくちゃな大人になったものだけれど、青かったあの頃に違うところにある塔の住人だったひとたちとたまに出逢えることが増えてきて、
あの頃に出会えたらよかったな、きっと寂しくなかったなとふんわりやるせなくなったりもしたけれど、きっと塔を降りた今だから出会えたんだなと納得もしているから、
ああ私、ちゃんと大人になっちゃったんだなと
なんとなく思った。


とりとめのないことばかり考えていても大人にはなれるんだよね、それはある種の救いかもしれないしあの頃の私が祈った世界に今立てているのこもしれないから、とりあえず今日もそれなりに生きてみようと思う。